父の庭に落ちた爆弾― 不発弾が家族の人生を変えた日の記録 ―|ほんみや宮崎

爆弾が落ちたのは、戦時中のある日だった。

偶然だったのか。
それとも、何かの因縁だったのか。
その日は、私と従兄弟の誕生日である。

宮崎市内。
父が小学生だった頃、住んでいた家の庭に、爆弾が落ちた。
後にそれは、時限装置を備えた爆弾だったと聞いている。

当時、父も祖父も、それが何なのか分からなかった。
庭に空いた、大きな穴。
爆弾だとは思わず、ただ不思議な穴として、二人で覗き込んでいた。

その瞬間だった。

時限爆弾が、爆発した。

覗き込んでいた父と祖父は、爆風に吹き飛ばされ、そのまま穴の中に落ちた。
小学生だった父は、必死に這い上がり、地上へ出た。
祖父も、遅れて穴の中から這い上がってきた。

家は、跡形もなく吹き飛んでいた。

家の中には、祖母がいた。
机の上からランプが落ち、それを拾おうとした瞬間だったという。
左手には、まだ乳飲み子だった父の妹を抱いていた。

祖母は、そのまま吹き飛ばされ、土の中に埋まった。

爆発のあと、土の中から、父の声が聞こえていたという。
「おっかさん」「おっかさん」
そう呼ぶ声だけが、聞こえていた。

しかし、どこに埋まっているのか分からなかった。
仏壇の破片が散乱していた、そのあたり。
祖父は、そこを掘り始めた。

スコップでは掘れなかった。
誤って身体を傷つけてしまうかもしれない。
だから、祖父は手で、土を掘り進めた。

やがて、逆さまになった祖母が、土の中から出てきた。

左手には、乳飲み子を、しっかりと抱いたまま。
祖母は、土の中でも、その手を離さなかった。

母親としての執念だったのだと思う。

父の弟は、左足を骨折していた。

それからの生活は、想像を超えるものだった。
配給で受け取った、小さな鍋が一つ。
それだけで、家族は生きていくしかなかった。

それは、それは、苦労したと、父は語っていた。

この話は、昔の戦争の話ではない。
爆弾は落ちた瞬間だけで終わらない。
その後の人生に、深く、長く影を落とす。

いまも、不発弾は見つかっている。
地中に残り続け、ある日突然、人の生活の中に顔を出す。

これは、遠い過去の出来事ではない。
私の家族の記憶であり、
いまも続いている現実だ。

この記録について

このページは、戦時中に実際に起きた出来事を、家族の記憶として記録したものです。
内容には、爆発事故や負傷など、読む方によっては目を背けたくなる描写が含まれています。

しかし、戦争のむごさや、不発弾が人の生活に与えた影響は、都合よく省略できるものではありません。

本記録は、恐怖や悲惨さを煽ることを目的としたものではなく、事実として起きた出来事を、そのまま残すことを目的に公開しています。
父は現在も健在であり、この出来事は過去の物語ではなく、家族の中で語り継がれてきた現実です。
不発弾は、戦争が終わったあとも、人の人生に深く関わり続ける存在であることを、この記録から感じ取っていただければ幸いです。