宮崎ブーゲンビリア空港には「もしもしコーナー」という場所があります。
もしもしコーナー(宮崎ブーゲンビリア空港)
もしもしコーナーは昭和50年頃に全国で初めて宮崎空港に設置されました。
現在の宮崎空港に建て替えられる前の旧宮崎空港時代からありました。
通常は、保安検査場内に入ると、もう搭乗者と直接の会話はできなくなりますが、宮崎空港では見送りに来た方と、これから飛行機に乗る方が「もしもしコーナー前」でガラス越しに会話をすることができます。
宮崎空港の「もしもしコーナー」は、飛行機に乗る人と見送る人が別れ際に顔を見ながら会話できる最終の場所なのです。
アナログ感満載の電話機
⬆︎「もしもしコーナー」の電話機はアナログなインターフォンの様な、受話器を取って話すだけの電話機
(受話器は2台ずつありますが4人で同時に話せるわけではありません。。)一台づつの使用です。
普通は、出発する人と見送りに来た人は、保安検査場内入口前で しばしのお別れをします。
しかし、宮崎ブーゲンビリア空港に見送りに来た家族や恋人は、名残り惜しい気持ちで、「もしもしコーナー」まで足を運んでしまいます。
経験のある人は、搭乗前に、「後でもしもしコーナー」で話そうね!と事前に言う場合もありますが、何の打合せもない人や初めての人は、搭乗ゲートに向かう家族や恋人を、ひたすら「もしもしコーナー」のガラス前で待ちます。
通るか通らないかわからないのにひたすら待つ姿はとても切ないです。
ガラス越しに手を振ったり、電話で話したり、たとえ短い時間でも、お別れの気持ちを最後に伝えることができる場所。。
「もしもしコーナー」には、様々なドラマがあります。
- 帰省で久しぶりに宮崎に帰ってきた子供や孫と実家の親や家族との別れ。
- 遠距離恋愛の恋人との別れ。
- 県外に就職などで旅立つ子供と見送る親との別れ。 など。
「もしもしコーナー」は、別れと旅立ちの場所です。しかし、同時に、次また会える希望の場所でもあるのです。
「もしもしコーナー」で会話した人達は、しばしのお別れ後も、いつまでも心でつながっていることでしょう。
もしもしもしコーナーのあるあるパターン
ガッカリパターン
- 姿を見つけて見送る側がこちらから手を振って見ていても、全く気がつかずスルーしてそのまま搭乗口に素通りしてしまうパターン。(この場合は、少しガッカリするが見送る方は少しの淋しさですみます)
ガッカリパターン
- 搭乗口が逆方向で、この前をひたすら待つが、いくら待っても現れないパターン(この場合は、時間的にもうやってこないと諦めて帰ります)
感動パターン
- 飛行機に乗る人が、もしもしコーナー前を通ると、先ほど、検査場入口で別れたはずの家族や、恋人、知人が、ガラス越しに手を振っているパターン(思わず、見送りに来た家族や、恋人、知人がいることに気がつき、もしもしコーナー前のガラスまで笑顔で駆け寄ってくる。。)
感動パターン
- 淋しいことがわかっているから搭乗前に「もしもしコーナー」はやらないよと宣言する場合もある。でも、もしかしたら、家族が待っているんじゃないか?と一応、ガラスの方をチラ見しながら通ったら、家族がいてくれたときのうれしさ!(今日はもしもしコーナーはやらないって言ったじゃん!)
ガッカリパターン
- やっぱりいなかったときの淋しさ。(やるって言っとけばよかった!)
ガラス越しに、電話!電話!と受話器を取るように窓越しからジェスチャー。。
そこで、再び、電話で会話をすることが出来る「もしもしコーナー」
飛行機の搭乗も近づいているので、そうは長く話すことは出来ない。。
そんな、制限の中の、ガラス1枚越しの、触れるに触れられない 最後のお別れ感が、とても切ない。
ガラス越しに手を合わせてもぬくもりは伝わってこない切なさ。
ついさっき別れたはずの家族と、また顔を見ながら話すことが出来たうれしさとは裏腹に、2度目のお別れをしないといけないという現実がとても切ない。
- 県外に就職などで旅立つときの「もしもしコーナー」の思い出。
- 帰省でお盆休みやお正月に宮崎に帰ってきたときの「もしもしコーナー」の思い出。
一人の人生の中でも、その時々で、様々な思い出がここにはあります。「もしもしコーナー」と共に成長してきた方も、宮崎にはたくさんいるでしょう!
まとめ
「もしもしコーナー」
携帯電話が普及する前からある「もしもしコーナー」。。
宮崎ブーゲンビリア空港に訪れた際には、ぜひここに立ち寄って、もしもしを体験してみてください。
旅立ちや別れの際に、大切な人との会話が何より、心に残ります。
携帯電話で簡単に話す事の出来るこの時代に、ガラス越しのアナログな電話機での体験はいつまでも心に残ります。
ここで、別れ際の涙を何度も見たことがあります。
実際、私も 見送る時、見送られるとき、涙がこみ上げた事が幾度もあります。
いつまでも、残って欲しい。宮崎ブーゲンビリア空港の「もしもしコーナー」
今日も、いくつもの別れ際の「切なさのドラマ]が生まれたことでしょう